御由绪
 約一三〇〇年前の奈良時代に書かれた「出雲国風土記(いずものくにふどき(天平五(七三三)年)に「小田社(おだのやしろ)」として登載されており、はるか古来より小田の里の守護神として信仰された。神威霊徳は頸著にして殖産興業、海上安全に霊験高く、また安産育児の守り神として「御守大明神(おもりだいみょうじん)」とも称された。古くは現社地の西方海上にあった「鸕鵜島(うのしま)」に鎮座していたが、波風災害をおそれて字元宮の地に奉遷したと伝わる。さらに寛永五(一六ニ八)年に現今の尾山の地に遷され今日に至る。

御神徳と神話
 主祭神である火遠理命(ホヲリノミコト)は元は山の幸を司る神であったが、あるとき失った釣針を求めて海神の宮殿を訪ね、そこで海神から潮を操る不思議なカをもった宝玉を渡される。これによって海原を統べる御力を新たに得られ、地上・海洋双方の恵みを司る、偉大なる御神格となられた。豊かな山、田畑と海とを擁する小田の里の守り神としてふさわしい御神徳である。
 また火遠理命は海神の娘である豊玉昆売命(トヨタマビメノミコト)と結ばれ、やがて海辺の産屋で産まれられたのが鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト、初代神武天皇の御父神) であり、 この御子神を養育されたのが玉依隠売命(タマヨリビメノミコト)である。当社はこうした配祀神の御神徳により、出産や子守子育での守護神としても篤く信仰された歴史を有する。

御社殿
現本殿は一間社大社造りで明治二十年造営。床下の来待石製心柱を亀形礎石が支える特異な構造をとる。これは主祭神が海神の宮を訪ねた神話に因む意匠造形であろう。屋根は当初栩葺(とちぶき)で昭和五十六年遷宮時より銅板葺。土砂流出を避けるため平成十ニ年に殿舎を西方へ奉曳還宮し現在に至る。
境内社 に、金刀比羅社・恵比須社・稲荷社・三穂社がある
境外社 は、恵比須社二社・大山社二社・金毘羅社・八重山社がある
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